信念 努力 念 定 慧

五根 五力:仏教:開運金華

五根とか、五力といわれても普通はなんのことか解らないでしょう、五根とは五つの資質、五力とは五つの能力とでも言換えることができるでしょうか:五根 五力:仏教:開運金華

五根 五力

五根・五力とは五つの資質と能力と言換えて良いかと思います。

信・精進・念・定・慧 の五つをいい、
信 :信念
精進:反復
念 :思念
定 :禅定
慧 :智慧

信根・信力

如来の智慧(真理の法)を信じる。法は世尊により善く説かれた、それは現に証明できるもの、今此処で果報があるもの、涅槃に導くもの、智者が自ら知るべきことである。

仏陀を思念する、真理(法)を思念する、聖者(僧)を思念することによって、信念確信を得る。これを信根という。

精進根・精進力

よく精進に住して、諸々の善からぬことを断ち、諸々の善きことを身に付けるために努め、不屈の努力をかさねて、善きことのための重荷を投げ出すことがない。

四正勤によって精進を得る。これを精進根という。
悪を離れ、善きことを繰返し持続する。

1)今生じていない悪(貪、瞋、痴)は生じないように決意して、只ひたすら行い、注意深く努力する。
2)既に生じた悪(貪、瞋、痴)は無くそうと決意して、只ひたすら行い、注意深く努力する。
3)今生じていない善(戒、定、慧)を行うことを決意して、只ひたすら行い、注意深く努力する。
4)既に生じている善(戒、定、慧)を安定させ、忘れず、ますます修習して、完成させたいと決意して、只ひたすら行い、注意深く努力することである。

念根・念力

よく心に止めて忘れず、最高の思慮分別を持ち、久しい以前に為されたこと、久しい以前に説かれたことをも憶念し、あるいは思い起こす。
四念処によって念を得る。これを念根という。

注意深さと、思慮深さである。それは、心が常に目覚めていることであり、想いを絶えず監視していることである。

「今、此処、私」への正しい観察自覚(正念正智)。「今、此処、私」への無自覚を離れ、観察自覚に専念する。

今に気付いていること、今此処、この瞬間を知ることである(正念正智)。

熱心に気を付けて身を観察し、自覚して、執着と不満と妄想を離れる。
我身に於いて身というものを細かく観察する。熱心に、よく気を付け、注意深く観察し、それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住する。
熱心に気を付けて受を観察し、自覚して、執着と不満と妄想を離れる。
我感覚に於いて感覚というものを細かく観察する。熱心に、よく気を付け、注意深く観察し、それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住する。
熱心に気を付けて心を観察し、自覚して、執着と不満と妄想を離れる。
我心に於いて心というものを細かく観察する。熱心に、よく気を付け、注意深く観察し、それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住する。
熱心に気を付けて法を観察し、自覚して、執着と不満と妄想を離れる。
この存在に於いて存在というものを細かく観察する。熱心に、よく気を付け、注意深く観察し、それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住することである。

定根・定力

よく心は平等にして、執着することがなく、心を散動させずに、一境に集中することを得る。

捨断(集中)によって心の静止を得る。これを定根という。

善い行いと考えに没頭するように、心を訓練することである。
感官を守り正念正智にして満足を知り、心を安定させること、執着と不満と妄想の無自覚を離れる。

あらゆる欲望を離れ、あらゆる善くないことを離れ、まだ対象に心を引かれながらも、それから離れることに喜びと楽しみを感じる状態に到達する。これを初禅を実現して住するという。

だが、やがて、その対象に引かれる心も静まり、想いは清らかにして心は統一して、何物にも心を引かれることなく、只三昧より生じた喜びと楽しみのみ状態に至る。これを第二禅を実現して住するという。

さらに、その喜びをも離れ、内心平等にして執着無く、只念があり、智恵があり、楽しみがあるのみの状態に至る。これを、聖者達は、捨あり、念ありて、楽住するという。これを第三禅を実現して住するという。

さらにまた、楽をも苦をも断ずる。先に、既に喜びも憂いも滅したのであるから、今や、不苦、不楽にして、只、捨あり、念ありて、清浄なる状態に至る。これを第四禅を実現して住するというのである

慧根・慧力

智慧ありて、聖にして透徹、よく消滅の跡を知り、苦の滅尽に至ることを得る。
信ある聖弟子は、繰返し繰返し精進し、繰返し繰返し憶念し、繰返し繰返し心を調え、繰返し繰返し識別し、深い信を得る。

智慧によって選択決定し、正しい理解を得る。これを慧根という。

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