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<title>開運金華：新着情報</title>
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<title>呼吸法で運命を変える：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0012.html</link>
<description><![CDATA[呼吸法：調気法を行う姿勢
正しい姿勢は全身の力、特に上体の力が抜けている状態です。

そして、自然に背筋が伸びて、伸び伸びとしていることです。

どこにも緊張がなく、ゆったりと寛いでいる状態を保ちましょう。

自然呼吸法
自分のリズムで自然な呼吸を意識します。

意識的に呼吸すのことではなく、自然な呼吸を意識することです。

自然にしている呼吸に合わせて、吐く息、吸う息ごとに胸・腹・背中・腰の動きを感じるか、または鼻孔を意識します。

自然な呼吸を意識することによって、プラーナ・ヤーマ（調気法）になります。

腹式呼吸法
下腹部の動きを感じて呼吸します。

力を入れる流派もありますが、力を入れない方が安全です。

ヨーガ的には、プラーナ（気）を腹部まで吸入していると観想し実感することですが、初めのうちは下腹部の動きを感じる程度で良いでしょう。

実際には、腹部といっても腰や脇腹も同時に感じましょう。

風船のように膨らんだり縮んだりしている様子を感じましょう。

胸式呼吸法
腹式の要領で、胸の動きを感じて呼吸します。

実際には、胸部といっても背中や脇も同時に感じましょう。

風船のように膨らんだり縮んだりしている様子を感じましょう。

完全呼吸法
腹式呼吸と胸式呼吸を合わせて行います。

吸気の時腹の底まで息（気・プラーナ）を吸い込んでいるつもりで、先ず、腹部を前後左右に広げて息を吸い込みます。

次に、胸を前後左右に広げて息を吸い込みます。

この腹と胸の動きと感覚をスムーズになめらかに行います。

そして、呼気は胸をすぼめ息を吐き出し、腹をすぼめ息を吐き出します。

この胸と腹の動きと感覚をスムーズになめらかに行います。

プラーナの観想（イメージ）
プラーナの観想は、気体や液体、あるいは光りとしてイメージするとよいでしょう。

どんなイメージを描くにしろ綺麗で気持好い性質を付随させるように注意しましょう。

ここまでの訓練だけでも効果を実感できる人もいるはずです。

しかし、プラーナ・ヤーマの本質は息の遮断にあります。

詳しい方法はいずれ書いていくつもりですが、独習は危険が伴いますのでご自身の責任において実行してください。


調気法の具体的な方法は様々なやり方があり、指導者により内容が異なるものもあります。]]></description>
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<title>ヨーガの解脱：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0011.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガの解脱

このような優れた超能力に対しても喜びの心を抱かなくなれば、全ての悪の根が絶たれて、真我独存の状態が現れる。

たとえ高級神霊から誘いを受けても、愛着と誇りを抱かないことが大切である。
さもないと再び不吉なことが起きる。

今の瞬間と、瞬間から瞬間への相続に瞑想を成せば、この分析から生れる智恵が現れる。

この智恵によって、種類、特徴、位置、等によって区別できないものでも、的確に見分けられる。

この智恵は彼岸に渡すものと呼ばれ、全てのものの全てを知ることが出来る。

心の善性と真我の清浄さが等しくなった時、真我独存の境地は現れる。

ヨーガ最高の境地
行者が深智を得て何の欲望も抱かず、あらゆる面の弁別智を知り尽したならば、法雲三昧の境地が実現する。

その時、煩悩と業は消滅(還滅)する。

全ての煩悩と業が消滅した時、一切の汚れの無くなった智恵は無辺となる。

後知るべきものは僅かである。

それによって、三グナ(自性)は目的を果したので、それらの転変の相続も完了する。

相続は瞬間瞬間と不可分に結合しているので、転変の終局に於て初めて把握される。

独存位とは、目的の無くなった三グナが自分の本源へ没し去ることであり、純粋精神である真我が自体に安住することである。]]></description>
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<title>ヨーガの瞑想３：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0010.html</link>
<description><![CDATA[瞑想（集中、統一、同化）の結果

瞑想の結果は、雑念にとっては霊能であるが、三昧にとっては障害と成る。

瞑想の実修によって、心を体内に縛り付けている原因が弱まり、心の運行する道筋が明らかになると、心は他人の身体に入り込める。

瞑想の実修によって、ウダーナ気(上昇気流)を支配すると、水、泥、刺、等に煩わされることがない。

サマーナ気を支配すると、身体から火焔を発することが出来る。

聴覚器官と虚空との結びつきに瞑想すれば、天耳通が得られる。

肉体と虚空の結びつきに瞑想をするか、軽い綿くづに定心を向けることによって空中を歩くことができる。

実際に身体の外で心が働いている時、それは大脱身と呼ばれる。
この時、心の障害が無くなる。

粗大な元素、それの本質、微細な元素、それの結合、及び合目的性に瞑想を成せば、元素を支配出来る。

それによって肉体が完全に成り、何物にも破壊されなく成る。

肉体の完全さとは、美しさ、優雅、強力、金剛不壊の強靱さである。

感覚器官の把握作用、それらの本質、自我意識、それの結合、合目的性などに瞑想を成せば、感官を支配する。

それによって意のように早い運動、感官を離れてものを知り、世界の根源を支配する力が発現する。

心と真我の相違を純粋に自覚している人は、全存在に対する支配権と全智を得る。]]></description>
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<title>ヨーガの瞑想２：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0009.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガを成就するための、瞑想（集中、統一、同化）の対象

三種（原因、条件、結果（因、縁、果））の転変に対して瞑想することによって、過去と未来に関する知が生れる。

言葉と、言葉の表すものと、言葉の意味を混同するために混乱するのであるから、これらの違いに瞑想することによって、あらゆる生き物の声の意味が解る。

瞑想によって、行(潜在記憶)を直感すれば、前世のことが解る。

瞑想によって、他人の想念を直感すれば、他人の心の動きを知る。

その知識は、想念の対象まで含まれていない、この知識は想念だけにとどまる。

自分の肉体に対して瞑想することによって、その身体は誰にも見えなくなる。

自分の業に対して瞑想することによって、自分の死期を知ることが出来る。

慈(善意)等の感情を瞑想することによって、様々な力を発揮出来る。

象などの力を瞑想することによって、それらの力に等しい力が発揮出来る。

内なる光に瞑想することによって、どんな微細なものでも、隠れているものでも知ることが出来る。

太陽に対して瞑想することによって、宇宙を知る。

月に対して瞑想することによって、星の位置を知る。

北極星に瞑想することによって、全ての星の運行を知る。

臍輪に瞑想することによって、体内の組織を知る。

喉の窪みに瞑想することによって、飢えと渇きを消すことが出来る。

喉の下にある亀の管に瞑想することによって、忍耐力(坐の不動)が得られる。

脳天の光に瞑想することによって、神人達を見ることが出来る。

照明智によって、全てを知ることが出来る。

心臓に瞑想することによって、心を意識できる。

想念を捨てて、純粋に真我に対して瞑想することによって、真我の智が現れる。

真我への瞑想から、照明智、超越した聴覚、触覚、視覚、味覚、臭覚、が生れる。]]></description>
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<title>ヨーガの瞑想：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0008.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガを成就する、瞑想（集中、統一、同化）

凝念（集中）とは、心を特定の場所に縛り付けておくことである。

靜慮（統一）とは、特定の場所を対象とする想念が一筋に伸びていくことである。

三昧（同化）とは、その思念する客体ばかりに成り、自体を無くしてしまったように成った状態のことである。

凝念（集中）、靜慮（統一）、三昧（同化）は同一の対象に対して実修されるので、総称して綜制（瞑想）と呼ばれる。

綜制（瞑想）に成功した時に、真智が輝き出る。

綜制（瞑想）の実修は、段階を追って行いなさい。

綜制（瞑想）の三部門は、それまでの部門に比べて、内的である。

しかし、無種子三昧にとっては、外的部門にすぎない。

ここでは、凝念（集中）、靜慮（統一）、三昧（同化）という 三つの階梯を一つに説明します。
この三つの違いを明確に説明できるだけの経験が私にはないということと、分ける必要もないように感じるからです。


ヨーガを成就する、心の転変

雑念をとめる想念が現れ、雑念をとめる瞬間の意識と心が合一（同化）していれば、止滅転変と言う。

心の静止が持続するのは、止滅の行が原因である。

あらゆる対象に惹かれること無く、心の専念状態が現れるのを三昧転変という。

今消えた想念と、次の瞬間の想念が同じであるのを、心の専念転変という。

以上の解説で、物質と感覚に関する現象と時間と様態の転変も説明されたのである。]]></description>
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<title>ヨーガの制感（感覚制御）：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0007.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガを成就する、制感（プラティヤーハーラ・内向）
制感とは、感官が、それぞれの対象から離れ、心を対象とするように成った状態である。

制感を実修することによって、全ての感覚器官に、最高の従順さが生れる。


この辺からは本当に難しい実修になってきます。

外向きの感覚器官を内側に向け直して精神統一していく実修になってきます。

本来感覚器官は外側を認識するようにできているためとても大変な訓練になる可能性があります。

人によってはいとも簡単に達成している人もいるようですが、私には難しく感じました。

また、感覚を内側に向けると簡単に言っても、内側に感覚を向ける対象がなければできないことになります。

その対象もヨーガではきちんと説かれています。]]></description>
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<title>ヨーガの調気法（呼吸法）：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0006.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガを成就する、呼吸法（調気法：プラーナ・ヤーマ）

坐法が調ったら、調気を行う、呼気と吸気の流れを断ち切ることである。

調気は、外部的、内部的、静止的な働きなら成り、空間、時間、数によって測定される。

細く長くせよ。

内外の対象を排除したものが第四の調気である。

調気の実修によって、心を覆っていた煩悩が消滅する。

心が集中統一に耐えられるように成る。


ヨーガの呼吸法（調気法：プラーナ・ヤーマ）と他の呼吸法の大きな違いは、ヨーガの場合は呼吸を停止することに主眼を置いています。

吸い込んだ息を止める法と、吐ききって止める法と、自然な止息とが説かれています。

心の状態と呼吸が同調していることは他の方法でもよく言われていますが、呼吸の完全停止状態こそ心不動の状態だと言い切っているのはヨーガだけではないでしょうか。
私が知らないだけかもしれません。]]></description>
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<title>ノコ君への言葉：お説教：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%81%8A%E8%AA%AC%E6%95%99/0001.html</link>
<description><![CDATA[仕事における訓練（成長）と人生全般の訓練（成長）とはまったく同じだと思います。
人並みに上達するためには人並みに努力すれば必ず人並みには上達するはずです。
なぜなら、人の才能・素質というものは基本的に大差は無いと考えているからです。

何人かで同時にスタートして人よりも遅れてしまうのは

1.本人が努力していない
2.努力の仕方（方向性）が間違っている

この二つの内のどちらかのはずです。
この原因を自分で考え自分で理解しないかぎり先に進むことはできない。

ノコ君は社内でも素直であり真面目であるから自分では努力しているつもりであるにもかかわらず成果が出ないのは、人が見ていない所で怠けているか努力の方向性が間違っているはずです。

仕事における成長と人生（趣味）における成長とはまったく同じであり努力と工夫で必ず成長するものです。

目的や目標の無いままスタートしても進み続けることはできないだろう。]]></description>
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<title>目的と目標を明確にしよう（ノコ君へ２）：お説教：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%81%8A%E8%AA%AC%E6%95%99/0002.html</link>
<description><![CDATA[まず、目的と目標を明確にしよう。

例えば、ここから120㎞先の駅まで（初めての場所です）行くとしよう。

その時に自分がなんという駅に行くのか解らなければ出発すらできないはずである。
　自分が何のためにそれをやるのか、その目的を理解しなければ進むことはできません。進むということは目的に向かって進むと言うことです。

　つまり、目的を理解しないで、ただやれと言われたことを黙々と実行しているノコ君は真面目そうに見えるけど、実際には怠慢であると思う。目的を理解しなさい。臨機応変さを持ちなさい。


次に、目的の駅が解ったら、地図を見たり行ったことのある人に道順を聞いたりして正しい道順を知ろうとしますね。

　自分が進んで行く道筋が解らなければ途中で道に迷ってしまいます。だから途中に目印（目標）を作るね。新入道路を真直ぐ行って、報告交差点を右折して、嫌い班長道路を進んで、説教交差点を左折して・・・・・・・というように、ほとんどの人が、途中途中に目印（目標）を作っています。

　つまり、目標が無ければ自分がどこまで進んでいるか解らなくなってしまいますね。また、脇道にそれてしまっても次の目標地点が無ければ、正しい道に戻ることも難しいことです。

　だから、自分で目標を持ちなさい。目的地に向かう途中に目標を作りなさい。]]></description>
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<title>経験者に尋ねなさい（ノコ君へ３）：お説教：開運金華</title>
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<description><![CDATA[実際に目的地に向かって進んでいます。地図を見ながらあるいは教わったメモを見て進んでいます。

　 順調に行けると思っていたのに、道を間違えてしまいました。自分では真直ぐ行くか、右に行くか、左に行くか、来た道を戻るか、地図を見ても決められません。

　そこに、ニコニコ気楽に話せそうな無知さんと、怖そうな話かけずらい知識さんがいました。あなたは無知さんに道を聞いて進み続けました。その結果正しい道には出られず、結局間違った地点まで戻ることになりました。数倍の時間をかけています。

　つまり、間違った相手に質問しても正しい成果は出ない。ノコ君はいつも表面的に優しい相手に質問して間違ったことをしている。また、どうでもいい強い口調の言葉に従ったり後でいいことを先にしたりと無駄な努力をし続けている。

　私は、どうでもいいことに口出しはしない。自分で考えて自分で進めるように見守っている。自分で考えなさい。物事の優先順位を決めなさい。

　そして、何よりもその道の経験者に尋ねなさい。ノコ君より先を進んでいる者は、どの道を進めば一番早いか知っているし、一番安全な道も知っている。また安全な道は人によっても違う場合があるのでその道の経験者に質問しなさい。

　なぜ人によって安全な道が違う場合があるのかというと、一人ずつ現在位置が違うからです。そして、誰が今どこにいるかを正確に把握できるのもその道を通過した経験者が一番よく理解しているはずです。がんばりましょう。]]></description>
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<title>全てを単純に信じてはいけない：お説教：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%81%8A%E8%AA%AC%E6%95%99/0004.html</link>
<description><![CDATA[ここで言っている、私の考えが全て正しいと考えるのも問題です。
これは、私の経験に基づいた私の意見でありそれを取入れるのは自分自身の選択です。
これはあくまでも一つの意見です。


最初にこれを書いたときから、数年たちましたがノコ君は成長していません。
私としては社会人として何とか一人前にしたいと考え、毎日のように数時間掛けて話し合ってきましたが、ほとんど効果がありません。

もしも、ノコ君がこのページを見つけ読んだとしても、自分のことをかかれているとは感じないのでしょうね。

ハンドルネームは「金華」です。これはヒントですよ。
ノコ君が真剣に人生について、社会人としての姿勢について考えるならば、私を特定することができると思います。

私はいつもノコ君のそばにいます、ノコ君を見ています。それがプレッシャーになっているのも解っています。
ですが、ノコ君は私が面倒みなければ会社に居場所が無くなってしまいますよ。
これは、本当のことです。

がんばりましょう！]]></description>
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<title>仏陀の法（意訳－般若心経のつもり）：お説教：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%81%8A%E8%AA%AC%E6%95%99/0005.html</link>
<description><![CDATA[純粋な心の持ち主よ、よく聞きなさい。

　私たちは、今この瞬間にも、死に向って進んでいる者であり、すでに死につつあることを理解しなさい。

　私達のこの人生も、身体も、感覚も、感情も、思考も、記憶も、何一つとして思い通りに成るものではなく、死と共に全てを失ってしまうことを正しく理解しなさい。

　純粋な心の持ち主よ、私達の人生や、身体や、言葉や、意識を自分だと思い込むのは止めなさい。自分のものだと思い込むのは止めなさい。またその思い込みを捨てなさい。

　私達が思い通りにならないものを、自分だと錯覚し、自分のものだと誤解して、大変な苦しみを味わっていることを正しく理解しなさい。

　思い通りに成らないものは、自分ではないことをよく理解しなさい。
　そして、思い通りに成るものは、何一つとして有りえないことを正しく理解しなさい。

　純粋な心の持ち主よ、私達の人生は、生れに支配され、時間に支配され、死に支配されていることを理解しなさい。

　あなたは全てを思い通りにすることはできない。生れて来る時に両親を選ぶことはできない。あなたは時間を止めることも戻すこともできはしない。そして、死は必ず訪れる。あなたは死から逃れることはできない。それは時間の問題である。よく考えて、正しく理解しなさい。


　私達の身体は、生れに条件付けられ、老いに支配され、死によって奪い去られる。

　私達の感覚は、接触に縁って生じ、苦痛に支配され、楽しみはいずれ消えてしまう。

　私達の感情は、常に動きを止めず、貪欲になり、怒り、無意味なことを思い煩う。

　私達の思考は、すぐに感情に巻き込まれ、一つのことを考え続けることはできない。そして全てを　ありのままに正しく理解することはできない。

　私達の記憶は、曖昧であり、その全てを思い出すことはできない。そして間違った私という観念を作りあげている。

　これらを、自分だと思い込むのは止めなさい。自分のものだと思い込むのは止めなさい。そうしなければ、私たちは苦悩から解放されることはない。

　この正しい理解に縁ってのみ、私たちは解脱へと至ることができる。]]></description>
</item>

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<title>ヨーガの坐法：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0005.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガを成就する、坐法（アーサナ）

坐法は、安定した、一番楽な坐り方をしなさい。

坐法は、力を抜いて楽にして、心を無辺なるものへ合一させることによって成功する。

坐法の成功によって行者は、寒熱、苦楽等どの様な相対的状況によっても悩まされることはない。


仏教では坐法は結跏趺坐くらいしか言及されていませんが、ヨーガでいう坐法（アーサナ）は体操的な身体の動きと静止の鍛錬を含んでいて瞑想の実修者には非常に効果のある実修法になっています。

これらのアーサナだけでも健康を得る効果は絶大で少し前までは、ヨーガといえばアーサナ＝ヨーガと思われていた時代もあります。

ですが、ヨーガにおいて坐法を安定させるのには目的があります。
それは、瞑想を極めるための前段階といえます。

少し工夫をすれば、坐法（アーサナ）そのものが深い瞑想状態に誘導する効果を持っているものもあります。
目的を理解して実践しましょう。]]></description>
</item>

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<title>ヨーガのやるべきこと：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0004.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガを成就するために、やるべきこと（勧戒）

勧戒とは、清浄、知足、苦行、読誦、自在神祈念、である。

否定的想念に気付いた時は、すぐに反対の肯定的想念を念想せよ。

否定的想念は、全て苦と無知とを際限なくもたらすものであることを念想せよ。

清浄の戒行に徹したなら、自他の肉体に嫌悪の情を抱き、他人の身体に触れなくなる。

さらに心の安定、喜び、集中力、直感力が現れる。

知足の戒行に徹したなら、無常の幸福が得られる。

苦行の戒行に徹したなら、心身の不浄が消え、身体と感官の超自然力が発揮される。

読誦(真言念誦)の戒行に徹したなら、自分の希望する神霊に会うことが出来る。

自在神祈念(信頼、献身、愛)の戒行に徹したなら、三昧に成功する。


最初に書いた否定的想念に気付いたときは、すぐに反対の肯定的想念を念想せよ。
というのは、現代の成功哲学に通じる潜在意識の法則的な内容になっていて非常に興味深いと思います。

やはり古代から潜在意識の法則的なことは伝わっているということでしょう。]]></description>
</item>

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<title>ヨーガのやってはいけないこと：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0003.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガを成就するために、やってはいけないこと（禁戒）

禁戒とは、非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪、である。

どんな状態においても禁戒が守られるとき、大誓戒と呼ばれる。

非暴力の戒行に徹したなら、その人のそばでは全てのものが敵意を捨てる。

正直の戒行に徹したなら、その言うとおりの行為と結果が実現する。

不盗の戒行に徹したなら、求めずして、あらゆる財宝が集って来る。

禁欲の戒行に徹したなら、強力な精力を得る。

不貪の戒行に徹したなら、不動心を得、転生の有様を正しく知る。


非暴力に徹すれば毒虫や猛獣、悪人等もその人を害することがないといわれています。

正直に徹すればその人の言葉に従って現実のものになる。つまり、強力な実現力を得るといわれています。

不盗に徹すればその人に必要なものはどんな財宝でも集まってくるといわれています。

禁欲に徹すればその精力がクンダリニーの炎となって上昇しその人を超人にするといわれています。

不貪に徹すれば心が安定し正しい修行の道を進み続けることができるといわれています。]]></description>
</item>

<item>
<title>手放しの法則は仏教：仏教：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E4%BB%8F%E6%95%99/0014.html</link>
<description><![CDATA[手放しの法則と言われている「セドナ・メソッド」は仏教的瞑想法の一種のように感じています。
「セドナ・メソッド」の発祥まで詳しく調べたわけではありませんが、何らかの仏教的影響を受けているように思います。

特に感情の解放を主においているのは、仏教の瞑想そのものと言えると感じますし、感情や欲求の分類は違和感がありますが、翻訳の問題もあるでしょうから仏教的な感情や欲求と置き換えると私はスムーズに解放できるように感じます。

手放しの法則は心が静かになってくるのをリアルタイムに体験できる方法です。
仏教的に伝承されている方法より簡単な構成で効果的だと感じます。

宗教観を含まない分仏教の本質に近いと思います。（本来仏教は宗教観は少ない）

全てから解放されると覚りとか解脱と言われる状態になれるといいます。

まさに仏教瞑想の極致を体現できる希有な方法論だと思いますから、皆さんも「セドナ・メソッド」を試してみると良いと思います。

「今の気分は？」「今感じていることは？」
「その気持を受入れますか？」　　「はい・いいえ」
「その気持を手放しますか？」　　「はい・いいえ」
「いつ？」　　　　　　　　　　　　　　　「今」

というように自問自答していく感じですが、その時に感情や気分を自覚していることが重要です。
「はい」でも「いいえ」でも次の質問に移ります。

私が今一番多用しているのは、「疑念」「不安」「恐怖」「否定」とうの感情の解放です。
色々な方法を活用してそれなりの成果は実感できているのですが、うまく行かないものがあるので、否定的感情を手放すようにしています。

これを実行すると気持が瞬時に変化します。直ぐに否定的感情は消え始めるのを感じます。
現実が動く瞬間を感じます。]]></description>
</item>

<item>
<title>四如意足 四神足：仏教：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E4%BB%8F%E6%95%99/0008.html</link>
<description><![CDATA[四如意足 四神足
四如意足あるいは四神足については、教典の記述が少なく、内容も理解しがたいことを書かれていますので、私ごときにはとうてい解明できないもののようです。

できる限り書籍等で調べていますが、私の納得できる内容は殆ど見ることができません。

最近思い出したのですが、密教の事相が四神足・四如意足だと言われています。
密教の事相について解説されていた書籍で相当前に読んでいました。
密教の事相はイメージと思念を繰り返して、仏陀と一体化する行法と言い換えることができますので、四神足・四如意足というものはイメージや思念を重要視していることが推測されます。

ザ・シークレット等で有名になった引き寄せの法則あるいは潜在意識の法則等といわれている成功法則と同じことでした。
その成功法則を仏陀を対象にして集中していく方法が四つの如意足（神足）でした。


その前提で四如意足・四神足の文献を読んでみると、ぼんやりとでもその内容が解ってくるような気がします。

欲如意足（欲三昧勤行成就如意足・欲三摩地勤行成就の神足）
欲求に対して、意のままに集中統一し、実践する。

欲（志向）によって心の静止を得たら、欲三摩地という。四正勤の実践を勤行という。

私は欲（志向思念・意志力）を修習して、怠けること無く努力しすぎること無く眠り込まないように五感に反応しないようにして、只、志向し続ける。

脳天から足の裏まで観察して、身口意の三行によって昼にも夜にも修習する。このように広々とした大空のような心で、太陽のような光明想を思い描く。

精進如意足（勤三昧勤行成就如意足・勤三摩地勤行成就の神足）
精進に対して、意のままに集中統一し、実践する

勤（実行力）によって心の静止を得たら、勤三摩地という。四正勤の実践を勤行という。

私は為すべきことを実行して、怠けること無く努力しすぎること無く眠り込まないように五感に反応しないようにして、只、実行し続ける。

脳天から足の裏まで観察して、身口意の三行によって昼にも夜にも修習する。このように広々とした大空のような心で、太陽のような光明想を思い描く。

心如意足（心（念）三昧勤行成就如意足・心三摩地勤行成就の神足）
思索に対して、意のままに集中統一し、実践する

心（集中力）によって心の静止を得たら、心三摩地という。四正勤の実践を勤行という。

私は心に想像して、怠けること無く努力しすぎること無く眠り込まないように五感に反応しないようにして、只、心に想像し続ける。

脳天から足の裏まで観察して、身口意の三行によって昼にも夜にも修習する。このように広々とした大空のような心で、太陽のような光明想を思い描く。

観如意足（観三昧勤行成就如意足・観三摩地勤行成就の神足）
観慧に対して、意のままに集中統一し、実践する

観（観察力・自覚）によって心の静止を得たら、観三摩地という。四正勤の実践を勤行という。

私は全てを観察自覚して、怠けること無く努力しすぎること無く眠り込まないように五感に反応しないようにして、只、観察自覚し続ける。

脳天から足の裏まで観察して、身口意の三行によって昼にも夜にも修習する。このように広々とした大空のような心で、太陽のような光明想を思い描く。]]></description>
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<title>ヨーガの教典：ヨーガ・スートラ：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0002.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガとは心の作用を止滅することである。

心の作用が止滅されてしまった時には、見る者である真我は、それ本来の状態に止まる。

その他の場合に合っては、真我は、心の色々な作用に同化している。

ヨーガ・スートラにおける心の作用とは
心の作用とは、正知識、錯覚、思考、睡眠、記憶の五種類である。

正知識とは、直接経験による知識、推理による知識、聖教に基づく知識の三種である。

錯覚とは、対象の実体に基づいていない不正な知覚のことである。

思考とは、言葉の上だけの知識に基づいていて、客観的対象の無いものである。

睡眠とは、空無を対象とする心の作用のことである。

記憶とは、過去に経験した対象が失われていないことである。

ヨーガ・スートラの修習(実修)と離欲
心の様々な作用は、修習(実修)と離欲によって止滅する。

修習とは、心の流れの静止をもたらそうとする努力のことで、長時にわたり、休むこと無く、真剣に実行されるならば、堅固な基礎を持ったものになる。

離欲とは、見たり、聴いたりした対象の全てに対して無欲になった人が抱く、自覚である。

離欲の最高のものは、真我についての真智を得た人が抱くものであって、三徳そのものに対する愛着からさえも離れることである。

ヨーガ・スートラで説く三昧とは
熟慮、検討、歓喜、自我意識を伴っている三昧は、有想三昧と呼ばれる。

無想三昧とは、心の作用の静止へ導く観念の実修の結果として、潜在記憶だけが残っている状態である。

神霊たちと、自性に没入した人々には自然発生的な無想三昧がある。

ヨーガ行者たちの無想三昧は、信念(信仰)、努力、念想(記憶)、三昧、智恵を手段として得られる。

解脱を求める強い情熱を持つ行者には、無想三昧の完成は早い。

強い情熱という中にも温和、中位、破格の差があり、それに応じて完成の早さも違う。

ヨーガ・スートラの定
心が静止したら、心は真我、認識器官、認識対象のどれかに止まって、それに染まる。

これが定(三昧、同化)である 定の中で、言葉とその示す対象とそれに関する知識が有るものは有尋定と呼ばれる。

記憶が浄化されると、意識が無くなったようになり、対象だけが輝きだす、これが無尋定と呼ばれる定である。

この二つの定に基づいて、微妙な対象に関係する有伺定と無伺定は説明される。

微妙な対象とは、対象として存在しなくなり、何も定義できないものに至る。

これが有種子三昧である。

無伺定が純粋になった時、内面的清澄が生じて、真理のみを保持する智恵が生れる。

この智恵から生れる行は、他の行の発現を妨げる性質を持つ。

最後に、この真智をも止めてしまった時、一切の作用が止ってしまうから、無種子三昧が実現する。

ヨーガ・スートラの実修法（自在神祈念）
自在神への祈念(信頼、献身、愛)によっても、無想三昧に近づくことが出来る。

自在神とは、煩悩(想念)、行為、結果、記憶などによって汚されていない特別な真我で、一切種子の中の最高のものが備わっている。

自在神は時間を超えているから、太古の導師達にとっても導師なのである。

その、自在神を言葉で表したのが、聖音「オーム」である。

修行者は、この音を反復誦唱し、この音が表す自在神を念想せよ。

この実修によって、内観の力を得、あらゆる障害を無くすることが出来る。

ヨーガに対する障害
ヨーガに対する障害とは、あらゆる心の散動状態とその原因である。

苦悩、不満、手足の震え、荒い息遣い等が心の散動状態に伴って起る。

ヨーガ・スートラの実修法（心の散動を対治する方法）
心の散動を対治するには、ある一つの事柄を対象として、繰返しこれに思念を集中させなさい。

慈(善意)、悲(同情)、喜(感謝)、捨(無関心)は、他人の幸、不幸、善行、悪行を対象として抱く感情であるが、これらの感情を念想することから、心の清澄が生ずる。

息を出す法と息を止めておく法とによっても、心の清澄が得られる。

特定の対象を持った感覚が発現したなら、それは心を否応なく不動にする。

憂いを離れ、白光を帯びた感覚が発現すれば、心を否応なく不動にする。

対象に対する欲心を離れた聖者の心を思念することも、心を否応なく不動にする。

夢や熟睡の中で得た経験を対象とする念想も、心の不動な状態をもたらす。

自分の好きなものを念想することによっても、心は不動になる。

心が不動になった人には、全てのものに対する支配力が生ずる。

ヨーガの浄化法（行事ヨーガ）
苦行(禁欲)、読誦(真言念誦)、自在神祈念(信頼、献身、愛)を浄化法(行事ヨーガ)という。

浄化法は、煩悩の力を弱め、三昧を実現する。

ヨーガ・スートラでいう煩悩とは
煩悩には、無明、我想、執着、憎悪、生命欲がある。

無明はその他の煩悩の田地である。

無明とは、無常、苦、非我、不浄であるものを、定、楽、我、浄と見ることである。

我想とは、真我と心を同一視することである。

執着とは、快楽に囚われた感情である。

憎悪とは、苦に囚われた感情である。

生命欲は、賢明な人にもある。

ヨーガの煩悩を除去する方法
煩悩は、潜在している間は、心の逆転変(本源に向うこと)によって除去することが出来る。

既に現れている煩悩は、定慮によって除去することが出来る。

ヨーガ・スートラがいう除去するべきもの
修行者にとっては、存在の全てが苦であり、修行によって除去するものは未来の苦である。

見るものと見られるものとの結合こそが、除去する苦の原因である。

見られるものは、真我の経験と解脱とをその目的としている。

両者の結合の原因は無明である。

無明が無くなれば、結合もなくなる。

これが除去であり、見るものの独存位である。

ヨーガの智慧は弁別智
除去の手段は、純粋な弁別智(識別智)である。

弁別智を得たものには、最高の真智(解脱知見)が生れる。

ヨーガの実修によって、心の汚れが消え、智恵の光が増し、弁別智が現れる。]]></description>
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<title>仏陀の瞑想法：禅定（四禅定）：仏教：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E4%BB%8F%E6%95%99/0013.html</link>
<description><![CDATA[独りで、結跏趺坐して坐り、身体を真っ直ぐに伸して、念を前方に集中する。（安般念）

世間に対する執着を捨て、執着を離れた心を持って住する。執着から心を浄化する。

悪意と憎しみを捨て、悪意のない心を持って住する。
愛と善意によって悪意から心を浄化する。

怠けと眠気を捨て、怠けと眠気を離れて住する。光きらめく意識を持ち、正念正智にして、怠けと眠気より心を浄化する。

妄想と後悔を捨て、妄想と後悔を離れて住する。内に静かな心があり、妄想と後悔から心を浄化する。

疑念を捨て、疑念を超えて住する。疑念なく、正しい法によって、疑念より心を浄化する。

これら五蓋煩悩が捨てられることによって、悦が生じる。悦あるものには、喜びが生じる。喜びの心あるものには、身軽安となる。軽安な身は、楽を得る。楽ある心は三昧に入る。

このように、欲望を去り、不善の法を離れて、思惟と考察がある(有尋、有伺)、欲の世界からの遠離より生ずる喜と楽とのある初禅に達して住する。

さらに、思惟、考察を静止して、内に確信あって、心専一となり、思惟もなく、考察もなくなり、三昧より生ずる喜と楽とのある第二禅に達して住する。

さらに、喜をも、離貪をも超え、捨心となって住し、正念正智あり、楽を身に受けて、まさしくこれが聖者の説いた「捨心であり、正念であり、楽住である」と、第三禅に達して住する。

さらに、楽を捨て、苦を捨て、また既に喜びと憂悩を離れているので、不苦不楽にして、捨心、正念、の清浄となる第四禅に達して住する。

仏陀の瞑想（定）とは
瞑想（定）とは
一、感官を守り、
二、正念正智にして、
三、満足を知ることによって、心を安定させることである。

感官を守る（制感）
感官を守るとは
見えるものへの、執着、好みを離れる。
聞えるものへの、執着、好みを離れる。
臭いへの、執着、好みを離れる。
味への、執着、好みを離れる。
触れるものへの、執着、好みを離れる。
意識するものへの、執着、好みを離れる。

正念正智
正念正智とは
歩きつつ、「歩いている」と知り。
立ちつつ、「立っている」と知り、
坐りつつ、「坐っている」と知り、
横になりつつ、「横になっている」と知り、
前を見つつ、「前を見ている」と知り、
後ろを見つつ、「後ろを見ている」と知り、
腕を曲げつつ、「腕を曲げている」と知り、
腕を伸しつつ、「腕を伸している」と知り、
食べつつ、「食べている」と知り、
噛みつつ、「噛んでいる」と知り、
味わいつつ、「味わっている」と知り、
大小便にも、行くにも、立つにも、坐るにも、眠るにも、覚めているときも、話すときも、黙っているときも、
その瞬間を知ることである。

満足を知る（知足）
満足を知るとは
身を包む服と、身を養うだけの食で、満足することである。

少欲知足のことで、この辺りは正に仏教といえるようなものです。
欲を否定して、離れることを説いた、仏陀の教えの難しさがうかがえる内容です。

欲求を無くすことができたら、すでに聖者の境地であるという言葉もあるほど、高い境地の者にしか無欲の教えは実践できないものでしょう。]]></description>
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<title>ヨーガとは心を止滅することだった：ヨーガ：開運金華</title>
<link>http://joju.joju.xyz/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC/0001.html</link>
<description><![CDATA[ヨーガ・スートラの大前提は心の止滅であって、非常に難しい内容になってしまうんですが、私自身レベルが高くないんで気楽に探求してみましょう。

先ず、
ヨーガとは心の作用を止滅することである。

心の様々な作用は、修習と離欲によって止滅する。

心の作用が止滅されてしまった時には、見る者である真我は、それ本来の状態に止まる。

その他の場合にあっては、真我は、心の色々な作用に同化した形をとっている。

心の作用は５種類ある。それらは煩悩性のものと、非煩悩性のものとに分けられる。

心を静止するには、一つの対象に繰り返し繰り返し心と感覚を向け続けることである。

他人の幸福を願い、不幸の無いことを願い、善行を喜び、悪行はまったく気にしない、これらの感情の実修によって心は静止する。

息を出す法と、息を止める法とによって、心は静止する。

深い眠りや夢の中での体験に心を向けることによって、心は静止する。

何でも好ましいものを思念することによって、心は静止する。

ヨーガ・スートラに受けた衝撃
私はヨーガ・スートラを初めに読んだとき衝撃を受けた。

私は心に執着していたから心の作用を止滅するということが受け入れられなかった。

今でも修行が進んでいるとは言い難いけれども、以前は全く理解できなかったと思う。

私はある時期を境に教典を読むことが（実践は・・・）好きになり、約２０年になります。

その間様々な心の変化や環境の変化を経験していますが、ヨーガ・スートラが一番好きな教典であることは変わりませんでした。

非常にシンプルで読みやすいと思っています。仏教経典群は膨大であり一生かかっても読み切れないほどの量であるのに、ヨーガ・スートラは内容は同等といってよいほど深遠でありながらシンプルにまとまっていると感じます。

どーぞヨーガの世界を堪能してください。]]></description>
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