釈尊 解脱 目標

釈尊の目標は解脱:仏教:開運金華

釈尊の目標は解脱だったといって間違いはないはずです。その目的を達成して仏陀になったということです。:釈尊の目標は解脱:仏教:開運金華

釈尊の目標は解脱

釈尊にとって、大問題であったのは、生死の苦とこの世界からの解放、つまり出離(解脱)であった。

縁起とは、苦の縁て起る原因を追究することである。

「これあるとき彼あり」「これ生ずれば彼生ず」

「これ無きとき彼無く」「これ滅すれば彼滅す」

これによってあるという性質は、法として確立し、法として決定している。このように縁起の理法は、永遠の法である。釈尊は目の当りに覚り(現等覚)、目の当りに観ずる(現観)を得て、これを人々に教え、この理法を見よと言うのである。

苦の終り

熱心に正念、善く戒を保て。

思惟によって心を沈め、善く己の心を守れ。

この法と律とに熱心に実行する者は、生の流転を捨てて、苦の終りを成すであろう。

四法

戒、定、慧、解脱の四法が仏道の根幹である。

聖なる戒を覚知し、通達し、聖なる定を覚知し、通達し、聖なる慧を覚知し、通達し、聖なる解脱を覚知し、通達して、生存への欲望は根絶せられ、生存に導く網は断ち切られて再生のあることはない。

戒と定と慧と解脱とは無上である。

最初説法においては、苦集滅道の四聖諦が説かれ、最後の涅槃時には、戒定慧解脱の四法が説かれている。(これに解脱知見を加えて五分ともいう)

善行

最高善に努力せよ。最善を修めよ。最高善に於いて、熱心に努力せよ。

苦悩の根絶こそが仏道の真の目的である。

仏陀は、目的に適わない、梵行の基礎にならない、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、正覚、涅槃に導かないことは、説かない(答えない)のである

仏道は、単なる知識、理論、学問ではない。

仏道は、苦に直面して、これを現実に克服する道を実行するための教えである。

煩悩の滅尽

煩悩の滅尽

滅尽の条件は、解脱である。

解脱の条件は、離貪である。

離貪の条件は、厭離である。

厭離の条件は、如実智見である。

如実智見の条件は、三昧(精神集中)である。

三昧の条件は、楽(楽しい)である。

楽の条件は、軽安(身心の安らぎ)である。

軽安の条件は、喜(喜び)である。

喜の条件は、悦(快感)である。

悦の条件は、信である。

信の条件は、苦である。

無明を余すところなく滅し尽くせば、それによってわが内に苦楽を生じる行為(言葉・意識)はなくなる。

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