四聖諦
比丘たちよ、心静かに思索に努めよ。静かに思索するものは在るがままに了知する。
何を在るがままに了知するのであろうか、
「これは苦なり」と在るがままに了知する。
「これは苦の生起である」と在るがままに了知する。
「これは苦の滅尽なり」と在るがままに了知する。
「これは苦の滅尽に至る道である」と在るがままに了知するのである。
比丘たちよ、心静かに思索に努めよ。静かに思索するものは在るがままに了知する。
「これは苦なり」と勉励せよ。
「これは苦の生起なり」と勉励せよ。
「これは苦の滅尽なり」と勉励せよ。
「これは苦の滅尽に至る道である」と勉励せよ。
苦聖諦(世間の実相を見極める・四苦八苦)
人生の実相は苦であるという真理。これを苦諦と言う。四苦八苦である。苦の聖諦とはこれである。
生は苦である。
老は苦である。
病は苦である。
死は苦である。
嘆き・悲しみ・憂い・悩みは苦である。
怨憎するものに遇うは苦である。(愛別離苦)
愛するものと別離するは苦である。(怨憎会苦)
求めて得ざるは苦である。(求不得苦)
心身に執着して起る苦しみである。(五取陰苦)
総じていえば、この人間の存在を構成するものは全て苦である。
苦の聖諦とはこれである。五つの人間の生活を構成する要素(五蘊)である。身体、感覚、想念(表象)、思考(意志)、記憶(意識)である。
・六処(眼・耳・鼻・舌・身体・意識)である。
集聖諦(苦の原因(集積)を見極める・執着)
この苦には原因(集)があるという真理。これを集諦と言う。縁起である。人間の欲望(渇愛)がその原因である。(執着、愛着)
苦の生起の聖諦はこうである。迷いの生涯を引き起こし、喜びと貪りを伴い、あれへこれへと絡みつく渇愛がそれである。
すなわち、欲の渇愛(性的快楽への渇愛)。有の渇愛(生存への渇愛)。無有の渇愛(地位名誉・繁栄・富への渇愛)がそれである。
滅聖諦(苦の原因を滅尽する・離欲)
苦の原因である欲望を滅すれば、苦もまた滅尽出来るという真理、これを滅諦と言う。縁滅である。苦の滅尽の聖諦はこうである。その渇愛を全て離れ滅して、捨てさり、振り切り、解脱して、執着なきに至るのである。
道聖諦(八正道)
苦の滅に至る道があるという真理、これを道諦と言う。八正道である。この八正道は、、不苦不楽の中道とも言われる。
正しい見方、正しい考え、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい専念、正しい瞑想である。
苦の滅尽に至る道の聖諦はこうである。聖なる八支の道である。すなわち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。
このゆえに、「これは苦なり」と勉励せよ。「これは苦の生起なり」と勉励せよ。「これは苦の滅尽なり」と勉励せよ。「これは苦の滅尽に至る道なり」と勉励するのがよいのである。
知見(正見・正知)
知る者、見る者における煩悩の滅尽を説くのであり。知らざる者、見ざる者においてではない。「これは苦なり」と知る者、観る者に、煩悩の滅尽がある。
「これは苦の生起なり」と知る者、見る者に、煩悩の滅尽がある。
「これは苦の滅尽なり」と知る者、見る者に、煩悩の滅尽がある。
「これは苦の滅尽に至る道なり」と知る者、見る者に、煩悩の滅尽がある。
このように知る者、このように見る者に、煩悩の滅尽がある。
このゆえに、「これは苦なり」と勉励せよ。「これは苦の生起なり」と勉励せよ。「これは苦の滅尽なり」と勉励せよ。「これは苦の滅尽に至る道なり」と勉励するのがよいのである。
四諦と縁起の法
四諦の道理は、四苦八苦する人間苦の実相を見たならば、苦の原因を追究し、苦の原因をつきとめたならば、これを滅することによって苦を克服でき解脱することが出来ることを説く。縁起の理法と全く同じ理論で貫かれている。
真理を見る眼(法眼)が生じたら。「およそ集起する性のあるものは、全て滅する性のあるものである」と。
色(色、形あるもの)、受(感受作用)。想(表象作用)、行(意志作用)、識(識別作用)の五つ(五陰)について、無我、無常、苦、が説かれる。これによって五陰を厭い離れ、貪欲を離れれば、解脱するのである。
解脱すれば、「私は解脱した」という智が生じ、「生れることは尽きた、修行は完成された、為すべきことは成された、再びこの生存を受けることはない」と知るのである。
解脱したときには、はっきりと解脱の自覚が得られる。これは解脱の智であって、単なる信念とは異なる。
法眼を得て覚ったことと、苦の滅尽とは、同義ではない。出家しなくても法眼は得られる。法眼を得ただけでは、欲望は終息しない、この段階の人は、有学の知を得た者と言われる。
解脱には慧解脱(阿羅漢であり滅尽定を得ていない)と倶解脱(阿羅漢であり滅尽定を得ている)とがある。
仏陀の精神集中
仏陀は、真の精神集中と、真に正しい努力によって無常の解脱に達し、無常の解脱を実証した。あなた方も、真の精神集中と、真に正しい努力によって無常の解脱に達し、無常の解脱を実証せよ。
初めも善く、中も善く、終りも善く、内容もあり文句も備わった教法を解き示せ。完全円満で清らかな修行を知らしめよ。
言葉は、真理理解のための通路であり、方便(近付くこと)である。 スポンサーリンク
「仏教」No.2:「聖諦 四聖諦 四諦」[2008/05/10 10:37:17]
思惟するときは、「これは苦なり」と思惟せよ。 「これは苦の生起なり」と思惟せよ。 「これは苦の滅尽なり」と思惟せよ。 「これは苦の滅尽に至る道なり」と思惟するがよい。 それらの思惟は、よく利益をもたらし、梵行の出発点となり、厭離・離貪・滅尽・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「仏教」No.3:「正思 思惟 考え方」[2008/05/10 12:43:55]
釈尊にとって、大問題であったのは、生死の苦とこの世界からの解放、つまり出離(解脱)であった。 縁起とは、苦の縁て起る原因を追究することである。 「これあるとき彼あり」「これ生ずれば彼生ず」 「これ無きとき彼無く」「これ滅すれば彼滅す」 これ・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「仏教」No.4:「釈尊 解脱 目標」[2008/06/10 12:52:20]
老死苦悩、生、有、取、愛、受、触、六処、名色、識、行、無明。 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死苦悩。 無明とは 無自覚 苦についての無智・苦の生起についての無智・苦の滅尽についての無智・苦の滅尽に至る道についての無智 ・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「仏教」No.5:「縁起 えんぎ」[2008/06/11 02:10:11]
四念処とは 四念処を実修すれば、阿羅漢の完全智が得られるか、執着が残っても、この生存には戻らない不還が得られる。 四とは何か 此処に身体に於いて身体を観察して、熱心に正智正念にして、世間に対する貪欲と憂いとを制御する。 此処に感受(楽、苦、・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「仏教」No.6:「念処 四念処 観察」[2008/06/14 19:25:43]
四正勤(正しい努力) 不善を断ち 善を起す 断断 悪・不善を断滅するように、意志を起し、努力し、精励し、心をはげまして立ち向かう。 すでに生じている悪業を無くそうと決意して、それを熱心に注意深く実行して行くこと。 律儀断 悪・不善を生じな・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「仏教」No.7:「正勤 精進 努力」[2008/06/18 13:31:51]
四如意足 四神足 四如意足あるいは四神足については、教典の記述が少なく、内容も理解しがたいことを書かれていますので、私ごときにはとうてい解明できないもののようです。 できる限り書籍等で調べていますが、私の納得できる内容は殆ど見ることができま・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「仏教」No.8:「如意足 神足 神通」[2011/10/08 15:57:11]
五根・五力とは五つの資質と能力と言換えて良いかと思います。 信・精進・念・定・慧 の五つをいい、 信 :信念 精進:反復 念 :思念 定 :禅定 慧 :智慧 信根・信力 如来の智慧(真理の法)を信じる。法は世尊により善く説かれた、それは現に・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「仏教」No.9:「信念 努力 念 定 慧」[2008/07/02 13:45:06]
仏陀曰く「修行者が仏の説に随って解脱の修行をしようと思い立ったら、 まず、念覚分を習う。 念覚分を修め終わったら、選択分別を思惟する。その時択法覚分を習修する。 選択分別して思惟し終わったら、精進努力する精進覚分を習修するのである。 精進努・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「仏教」No.10:「覚支 覚り 覚醒」[2008/07/03 03:58:21]