瞑想 仏陀 仏教 禅 禅定

仏陀の瞑想法:禅定(四禅定):仏教:開運金華

瞑想は禅定といい仏教には絶対的に必要なものです。瞑想は仏教に限らず当時のインドでは一般的に瞑想を行っていたようです:仏陀の瞑想法:禅定(四禅定):仏教:開運金華

仏陀の瞑想法:禅定(四禅定)

独りで、結跏趺坐して坐り、身体を真っ直ぐに伸して、念を前方に集中する。(安般念)

世間に対する執着を捨て、執着を離れた心を持って住する。執着から心を浄化する。

悪意と憎しみを捨て、悪意のない心を持って住する。
愛と善意によって悪意から心を浄化する。

怠けと眠気を捨て、怠けと眠気を離れて住する。光きらめく意識を持ち、正念正智にして、怠けと眠気より心を浄化する。

妄想と後悔を捨て、妄想と後悔を離れて住する。内に静かな心があり、妄想と後悔から心を浄化する。

疑念を捨て、疑念を超えて住する。疑念なく、正しい法によって、疑念より心を浄化する。

これら五蓋煩悩が捨てられることによって、悦が生じる。悦あるものには、喜びが生じる。喜びの心あるものには、身軽安となる。軽安な身は、楽を得る。楽ある心は三昧に入る。

このように、欲望を去り、不善の法を離れて、思惟と考察がある(有尋、有伺)、欲の世界からの遠離より生ずる喜と楽とのある初禅に達して住する。

さらに、思惟、考察を静止して、内に確信あって、心専一となり、思惟もなく、考察もなくなり、三昧より生ずる喜と楽とのある第二禅に達して住する。

さらに、喜をも、離貪をも超え、捨心となって住し、正念正智あり、楽を身に受けて、まさしくこれが聖者の説いた「捨心であり、正念であり、楽住である」と、第三禅に達して住する。

さらに、楽を捨て、苦を捨て、また既に喜びと憂悩を離れているので、不苦不楽にして、捨心、正念、の清浄となる第四禅に達して住する。

仏陀の瞑想(定)とは

瞑想(定)とは
一、感官を守り、
二、正念正智にして、
三、満足を知ることによって、心を安定させることである。

感官を守る(制感)

感官を守るとは
見えるものへの、執着、好みを離れる。
聞えるものへの、執着、好みを離れる。
臭いへの、執着、好みを離れる。
味への、執着、好みを離れる。
触れるものへの、執着、好みを離れる。
意識するものへの、執着、好みを離れる。

正念正智

正念正智とは
歩きつつ、「歩いている」と知り。
立ちつつ、「立っている」と知り、
坐りつつ、「坐っている」と知り、
横になりつつ、「横になっている」と知り、
前を見つつ、「前を見ている」と知り、
後ろを見つつ、「後ろを見ている」と知り、
腕を曲げつつ、「腕を曲げている」と知り、
腕を伸しつつ、「腕を伸している」と知り、
食べつつ、「食べている」と知り、
噛みつつ、「噛んでいる」と知り、
味わいつつ、「味わっている」と知り、
大小便にも、行くにも、立つにも、坐るにも、眠るにも、覚めているときも、話すときも、黙っているときも、
その瞬間を知ることである。

満足を知る(知足)

満足を知るとは
身を包む服と、身を養うだけの食で、満足することである。

少欲知足のことで、この辺りは正に仏教といえるようなものです。
欲を否定して、離れることを説いた、仏陀の教えの難しさがうかがえる内容です。

欲求を無くすことができたら、すでに聖者の境地であるという言葉もあるほど、高い境地の者にしか無欲の教えは実践できないものでしょう。

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