正思 思惟 考え方

正思惟 仏教の考え方:仏教:開運金華

仏教には正しい考え方(正思 正思惟)が伝わっています。この考え方によって正しい道に入ることができるでしょう。:正思惟 仏教の考え方:仏教:開運金華

正思惟 仏教の考え方

思惟するときは、「これは苦なり」と思惟せよ。

「これは苦の生起なり」と思惟せよ。

「これは苦の滅尽なり」と思惟せよ。

「これは苦の滅尽に至る道なり」と思惟するがよい。

それらの思惟は、よく利益をもたらし、梵行の出発点となり、厭離・離貪・滅尽・寂静・証智・等覚・涅槃に役立つからである。

このゆえに、「これは苦なり」と勉励せよ。

「これは苦の生起なり」と勉励せよ。

「これは苦の滅尽なり」と勉励せよ。

「これは苦の滅尽に至る道なり」と勉励するのがよいのである。

仏陀

仏陀は、全てを捨て、欲望を滅尽して、解脱している。

仏陀は、諸々の煩悩に打勝った者である。

感覚的なこだわりを喜び、楽しんでいる者には、これによってあるという性質(縁起)の道理が見難く、また一切の執着を捨てること、欲望の滅尽、涅槃の道理(縁滅)が見難いのである。

無智(愚痴)

このような愚かな思いを思惟するな。

「世間は常である」「世間は無常である」という。

あるいは、「世間は限りがある」「世間は無限である」といい。

「生命は身体である」「生命と身体は別である」という。

あるいは、「人は死後も存在する」「人は死後存在せず」といい。「人は死後存在し存在しない」「人は死後存在するでも存在しないでもない」という。

このような愚かなことを思惟しても、何の利益ももたらさず、梵行の出発点にもならず、厭離・離貪・滅尽・寂静・証智・等覚・涅槃に役立つものでもない。

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