ヨーガの教典:ヨーガ・スートラ
スポンサーリンクヨーガとは心の作用を止滅することである。
心の作用が止滅されてしまった時には、見る者である真我は、それ本来の状態に止まる。
その他の場合に合っては、真我は、心の色々な作用に同化している。
ヨーガ・スートラにおける心の作用とは
心の作用とは、正知識、錯覚、思考、睡眠、記憶の五種類である。正知識とは、直接経験による知識、推理による知識、聖教に基づく知識の三種である。
錯覚とは、対象の実体に基づいていない不正な知覚のことである。
思考とは、言葉の上だけの知識に基づいていて、客観的対象の無いものである。
睡眠とは、空無を対象とする心の作用のことである。
記憶とは、過去に経験した対象が失われていないことである。
ヨーガ・スートラの修習(実修)と離欲
心の様々な作用は、修習(実修)と離欲によって止滅する。修習とは、心の流れの静止をもたらそうとする努力のことで、長時にわたり、休むこと無く、真剣に実行されるならば、堅固な基礎を持ったものになる。
離欲とは、見たり、聴いたりした対象の全てに対して無欲になった人が抱く、自覚である。
離欲の最高のものは、真我についての真智を得た人が抱くものであって、三徳そのものに対する愛着からさえも離れることである。
ヨーガ・スートラで説く三昧とは
熟慮、検討、歓喜、自我意識を伴っている三昧は、有想三昧と呼ばれる。無想三昧とは、心の作用の静止へ導く観念の実修の結果として、潜在記憶だけが残っている状態である。
神霊たちと、自性に没入した人々には自然発生的な無想三昧がある。
ヨーガ行者たちの無想三昧は、信念(信仰)、努力、念想(記憶)、三昧、智恵を手段として得られる。
解脱を求める強い情熱を持つ行者には、無想三昧の完成は早い。
強い情熱という中にも温和、中位、破格の差があり、それに応じて完成の早さも違う。
ヨーガ・スートラの定
心が静止したら、心は真我、認識器官、認識対象のどれかに止まって、それに染まる。これが定(三昧、同化)である 定の中で、言葉とその示す対象とそれに関する知識が有るものは有尋定と呼ばれる。
記憶が浄化されると、意識が無くなったようになり、対象だけが輝きだす、これが無尋定と呼ばれる定である。
この二つの定に基づいて、微妙な対象に関係する有伺定と無伺定は説明される。
微妙な対象とは、対象として存在しなくなり、何も定義できないものに至る。
これが有種子三昧である。
無伺定が純粋になった時、内面的清澄が生じて、真理のみを保持する智恵が生れる。
この智恵から生れる行は、他の行の発現を妨げる性質を持つ。
最後に、この真智をも止めてしまった時、一切の作用が止ってしまうから、無種子三昧が実現する。
ヨーガ・スートラの実修法(自在神祈念)
自在神への祈念(信頼、献身、愛)によっても、無想三昧に近づくことが出来る。自在神とは、煩悩(想念)、行為、結果、記憶などによって汚されていない特別な真我で、一切種子の中の最高のものが備わっている。
自在神は時間を超えているから、太古の導師達にとっても導師なのである。
その、自在神を言葉で表したのが、聖音「オーム」である。
修行者は、この音を反復誦唱し、この音が表す自在神を念想せよ。
この実修によって、内観の力を得、あらゆる障害を無くすることが出来る。
ヨーガに対する障害
ヨーガに対する障害とは、あらゆる心の散動状態とその原因である。苦悩、不満、手足の震え、荒い息遣い等が心の散動状態に伴って起る。
ヨーガ・スートラの実修法(心の散動を対治する方法)
心の散動を対治するには、ある一つの事柄を対象として、繰返しこれに思念を集中させなさい。慈(善意)、悲(同情)、喜(感謝)、捨(無関心)は、他人の幸、不幸、善行、悪行を対象として抱く感情であるが、これらの感情を念想することから、心の清澄が生ずる。
息を出す法と息を止めておく法とによっても、心の清澄が得られる。
特定の対象を持った感覚が発現したなら、それは心を否応なく不動にする。
憂いを離れ、白光を帯びた感覚が発現すれば、心を否応なく不動にする。
対象に対する欲心を離れた聖者の心を思念することも、心を否応なく不動にする。
夢や熟睡の中で得た経験を対象とする念想も、心の不動な状態をもたらす。
自分の好きなものを念想することによっても、心は不動になる。
心が不動になった人には、全てのものに対する支配力が生ずる。
ヨーガの浄化法(行事ヨーガ)
苦行(禁欲)、読誦(真言念誦)、自在神祈念(信頼、献身、愛)を浄化法(行事ヨーガ)という。浄化法は、煩悩の力を弱め、三昧を実現する。
ヨーガ・スートラでいう煩悩とは
煩悩には、無明、我想、執着、憎悪、生命欲がある。無明はその他の煩悩の田地である。
無明とは、無常、苦、非我、不浄であるものを、定、楽、我、浄と見ることである。
我想とは、真我と心を同一視することである。
執着とは、快楽に囚われた感情である。
憎悪とは、苦に囚われた感情である。
生命欲は、賢明な人にもある。
ヨーガの煩悩を除去する方法
煩悩は、潜在している間は、心の逆転変(本源に向うこと)によって除去することが出来る。既に現れている煩悩は、定慮によって除去することが出来る。
ヨーガ・スートラがいう除去するべきもの
修行者にとっては、存在の全てが苦であり、修行によって除去するものは未来の苦である。見るものと見られるものとの結合こそが、除去する苦の原因である。
見られるものは、真我の経験と解脱とをその目的としている。
両者の結合の原因は無明である。
無明が無くなれば、結合もなくなる。
これが除去であり、見るものの独存位である。
ヨーガの智慧は弁別智
除去の手段は、純粋な弁別智(識別智)である。弁別智を得たものには、最高の真智(解脱知見)が生れる。
ヨーガの実修によって、心の汚れが消え、智恵の光が増し、弁別智が現れる。 スポンサーリンク
「ヨーガ」No.2:「ヨガ ヨーガ スートラ」[2008/07/07 20:09:20]
ヨーガを成就するために、やってはいけないこと(禁戒) 禁戒とは、非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪、である。 どんな状態においても禁戒が守られるとき、大誓戒と呼ばれる。 非暴力の戒行に徹したなら、その人のそばでは全てのものが敵意を捨てる。 正直・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「ヨーガ」No.3:「ヨガ ヨーガ 禁戒 成就 瞑想」[2008/07/08 23:15:10]
ヨーガを成就するために、やるべきこと(勧戒) 勧戒とは、清浄、知足、苦行、読誦、自在神祈念、である。 否定的想念に気付いた時は、すぐに反対の肯定的想念を念想せよ。 否定的想念は、全て苦と無知とを際限なくもたらすものであることを念想せよ。 清・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「ヨーガ」No.4:「ヨガ ヨーガ 勧戒 成就 瞑想」[2008/07/09 19:29:29]
ヨーガを成就する、坐法(アーサナ) 坐法は、安定した、一番楽な坐り方をしなさい。 坐法は、力を抜いて楽にして、心を無辺なるものへ合一させることによって成功する。 坐法の成功によって行者は、寒熱、苦楽等どの様な相対的状況によっても悩まされるこ・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「ヨーガ」No.5:「ヨガ ヨーガ アーサナ 成就」[2008/07/10 22:38:27]
ヨーガを成就する、呼吸法(調気法:プラーナ・ヤーマ) 坐法が調ったら、調気を行う、呼気と吸気の流れを断ち切ることである。 調気は、外部的、内部的、静止的な働きなら成り、空間、時間、数によって測定される。 細く長くせよ。 内外の対象を排除した・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「ヨーガ」No.6:「ヨガ ヨーガ 調気 成就」[2008/07/11 23:56:02]
ヨーガを成就する、制感(プラティヤーハーラ・内向) 制感とは、感官が、それぞれの対象から離れ、心を対象とするように成った状態である。 制感を実修することによって、全ての感覚器官に、最高の従順さが生れる。 この辺からは本当に難しい実修になっ・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「ヨーガ」No.7:「ヨガ ヨーガ 制感 成就 瞑想」[2008/07/14 23:57:44]
ヨーガを成就する、瞑想(集中、統一、同化) 凝念(集中)とは、心を特定の場所に縛り付けておくことである。 靜慮(統一)とは、特定の場所を対象とする想念が一筋に伸びていくことである。 三昧(同化)とは、その思念する客体ばかりに成り、自体を無く・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「ヨーガ」No.8:「ヨガ ヨーガ 集中 瞑想 成就」[2008/07/15 00:04:39]
ヨーガを成就するための、瞑想(集中、統一、同化)の対象 三種(原因、条件、結果(因、縁、果))の転変に対して瞑想することによって、過去と未来に関する知が生れる。 言葉と、言葉の表すものと、言葉の意味を混同するために混乱するのであるから、これ・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「ヨーガ」No.9:「ヨガ ヨーガ 瞑想 成就」[2008/07/17 00:13:09]
瞑想(集中、統一、同化)の結果 瞑想の結果は、雑念にとっては霊能であるが、三昧にとっては障害と成る。 瞑想の実修によって、心を体内に縛り付けている原因が弱まり、心の運行する道筋が明らかになると、心は他人の身体に入り込める。 瞑想の実修によっ・・・
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
「ヨーガ」No.10:「ヨガ ヨーガ 瞑想 成就」[2008/07/18 23:20:38]